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ケネディ大統領を狙撃したオズワルド容疑者のミンスク時代のアパート

オズワルド容疑者のミンスク時代のアパート ベラルーシ
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オープンカーに乗りパレード中だったケネディ大統領を狙撃したとして逮捕されたオズワルド容疑者がミンスク時代に住んでいたとされるアパートが現存しています。

ミンスクが退屈すぎてケネディ大統領は狙撃された」とも言われるオズワルド容疑者がケネディ大統領の狙撃にいたる経緯を含め、このアパートをご紹介します。

米軍の軍人だったオズワルド容疑者

オズワルド容疑者はミンスクに住む前は、米軍の軍人でした。横須賀での勤務経験もあります。米軍での任務のなかでロシア語を覚え、ソビエト連邦への関心を寄せたオズワルド容疑者は、ソ連への移住を決めます。

オズワルド容疑者は1959年、ソ連旅行に出掛けたまま現地での生活をスタートさせます。ソ連政府に対してモスクワ大学で学びたいと申し出ました。この際、米軍の機密情報を売ったとも言われており、KGBの監視下に置かれています。

そして、モスクワ大学の学生となる要望は却下され、ベラルーシのミンスクで旋盤工として働くようにと仕事を斡旋され、このアパートを提供されました。労働者にしては随分と豪華なアパートだったそうです。

ソ連への亡命を希望するが説得される

ソ連への想いが強いオズワルド容疑者は、亡命を決意してモスクワのアメリカ大使館に対して米国パスポートの返納を申し出ましたが、大使館員らに説得されて亡命を断念しました。

ミンスクでのオズワルド容疑者の生活は、十分な給料が与えられ、1961年には薬学部の学生だったマリーナさんと結婚するなど順調なものでした。

とはいえ、オズワルド容疑者とマリーナさんの部屋は常にKGBによって盗聴され、壁には覗き穴さえあったそうです。ソ連亡命を希望する元米国軍人なんて、かなり怪しいですからね。

金を使う場所がない、暇すぎるミンスク

オズワルド容疑者はこのアパートに住んでいる当時の日記に「給料は十分だ。しかし、ナイトクラブもなければボーリング場もない。トレードユニオンダンス以外の娯楽がない。」と、ミンスクでの退屈な日々を書き残しています。

そして数年後、オズワルド容疑者は夫人と共にアメリカ行きを決意します。米軍の機密情報を売った容疑のある人物を、アメリカは拒絶することなく迎え入れました。

オズワルド容疑者のミンスク時代のアパート

ソ連旅行に出掛けた1959年から、アメリカへと帰国する1962年までの期間をオズワルド容疑者が過ごしたアパートは、現在もアパートとして現存しており、住人らが暮らしています。

一切の観光地化はされておらず、アパートにはオズワルド容疑者の旧宅を示す案内等はありません。また、どの部屋にオズワルド容疑者が住んでいたのかも特定されていません。

場所に関する情報は、Googleマップをご確認ください。